フレンニコフ:交響曲第3番、伊福部昭:ラウダ・コンチェルタータ、R=コルサコフ:シェヘラザード
フレンニコフ:交響曲第3番(フレ3)
第5回演奏会の1曲目はフレンニコフ作曲の交響曲第3番です。大多数の方は「フレンニコフって誰?」と思われるでしょう。私自身、人に話すと「カリンニコフ」と間違える方も結構いらっしゃいました。それほどにまでマイナーです。ロシア/ソヴィエト音楽に詳しい方ですと、ひょっとしたら、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、ポポフ、ミヤスコフスキー、シェバーリンなどが批判された歴史的事件である「ジダーノフ批判」があったソ連作曲家同盟総会の席上でそれらの作曲家の批判の実行者としてご存知の方も多いかと思います。彼は1948年からソヴィエトが崩壊するまでソ連作曲家同盟の書記長の地位に君臨していました。そして、社会主義リアリズムを推進する運動の旗振り役をしていたのでした。
さて、そのようなフレンニコフの書いた楽曲は、当然のごとく社会主義リアリズムを体現するものです。社会主義リアリズムとは、「社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め、教育する目的を持った芸術」ですが、彼の書く楽曲も大衆に受け入れ易くポジティブな内容のものです。今般演奏する交響曲第3番も基本的にこの路線を踏襲しており、キャッチーでわかりやすいものですが、一部には彼が以前に非難していた音列技法を用いていたりするなど、凝ったこと技法も取り入れています。
伊福部 昭: オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ
伊福部 昭は日本人作曲家です。彼は北海道の地において独学で作曲を学んでいたのですが、ロシア人作曲家のチェレプニンが設定した賞を受賞したことで世に出ることとなりました。彼の住んでいた北海道では日本とアイヌの文化が共存しているような状態で、彼はその両者から影響を受けたといわれています。実際彼の作品の多くにその影響が垣間見られます。アイヌ民族とは日露両方に関係のあると言われていますが、日露両方のテイストが含まれているようにも見受けられます。ラウダ・コンチェルタータはマリンバ協奏曲で、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に感化されたものとも言われます。初演時のノートにゆるやかな、頌歌風な楽案は主として管弦楽が受け持ち、マリンバは、その本来の姿である打楽器的な、ときに野蛮にも近い取扱いがなされています。この互に異なる二つの要素を組み合わせること、いわば、祈りと饗性との共存を通して、原始的な人間性の喚起を試みたのです」と記したと言われていますが、シャーマンとしてのマリンバソロと頌歌風なオーケストラの対比と融合がその魅力の一つであると言えましょう。この曲のエンディングは同じリズムを何度も何度も繰り返し、いわばトランス状態に入ります。その熱狂はすさまじいものです。ぜひライブで味わっていただきたいです。
リムスキー=コルサコフ:「シェヘラザード」
リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」は言わずと知れた名曲ですね。ダヴァーイでは珍しく王道的名曲です。千夜一夜物語の語り手、シェヘラザードの物語をテーマとしている作品です。どの物語を主題にしたというのではなく、全体として千夜一夜物語の雰囲気を醸し出しています。管弦楽の魔術師、リムスキー=コルサコフの手腕が冴え渡っており非常に美しい作品に仕上がっています。コンサートマスターがコンチェルトに近いくらいソロを多く弾いて、非常に活躍するのですが、シェヘラザード姫を演じているものです。そのため、コンサートマスターは女性が望ましいと言う人も多くいらっしゃいますが、ご安心ください!ちゃんと女性が演じます。