オーケストラ・ダヴァーイ 第8回演奏会

 第8回演奏会は、こちらに書いたように、「森口スペシャル」となっています。

 その魅力的なプログラムのそれぞれの曲について簡単にご紹介します。
 メインプログラムはショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」です。
 1905年のペテルブルグにおけるロシア革命の発端となった「血の日曜日」を題材としています。ご存知の通り、宮殿(現エルミタージュ美術館)に向かって請願のために行進する無防備の民衆に対して軍隊が発砲し、千人以上が虐殺された事件です。

 革命歌なども引用しつつこの歴史的事件を描いています。各楽章にも標題がついていて以下の4楽章からなります。
第1楽章 Adagio 「宮殿前広場」
 冬の宮殿前広場が描かれています。美しく穏やかながらもこの後に起こる事件を予見するかのような非常に緊張感に満ちた音楽です。

第2楽章 Allegro 「1月9日」
 民衆の請願行進から始まります。中盤では、不吉なトランペットの合図とともに宮殿前での一斉射撃が始まり虐殺が繰り広げられらます。まさに阿鼻叫喚、この描写っぷりはまさにショスタコの面目躍如。背筋も凍るようなすさまじい情景が広がります。そして突如の静寂で死を描きます。

第3楽章 Adagio 「永遠の記憶」

 犠牲者へのレクイエム。革命歌「同志はたおれぬ」をヴィオラが歌います。

第4楽章 Allegro non troppo 「警鐘」
 革命歌「ワルシャワ労働歌」などが用いられ、民衆の力によって導かれる圧倒的なクライマックスが描かれ、最後はチューブラーベルの乱打による帝政ロシアへの警鐘によって締められます。

 全楽章がアタッカで演奏され、さながらロシアの長編小説や長編歴史映画のような作品です。

 さて、ショスタコーヴィチと言えば、かつての冷戦時代、西側の人たちからは「御用作曲家」と考えられていました。体制を翼賛する音楽を書いて社会主義の宣伝をする作曲家であると忌み嫌われていました。有名かつ苛烈なのはショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を聴いたバルトークによる「国家の奴隷にまでなって作曲するものは、馬鹿」というコメントです。バルトークの管弦楽のための協奏曲では、この「レニングラード」のパロディが含まれています。
 ところが1979年に出版されたソロモン・ヴォルコフによる「ショスタコーヴィチの証言」により、ショスタコの評価が激変しました。スターリン存命中に作曲した作品群は生きるために仕方なく書いたものであって、その内容は欺瞞に満ちていると告白していたのでした(アメリカの音楽学者ローレル・E・ファーイが、「証言」の内容はヴォルコフの創作が大半を占めているとする研究結果を発表するなどあり、その真贋に関する論争は未だ続くのですが)。ショスタコーヴィチはソ連国内の、特に体制側の人たちをだまし続けていたのです。
 この「証言」以降、西側でのショスタコの評価は「体制迎合作曲家」から「体制に命をかけて抵抗した作曲家」に180度変わってしまいました。

 ところでタイムリーなことに、この原稿を書いている最中にこの日本でも同様の事件が起こりました。広島生まれの被爆二世で全聾の、「現代のベートーヴェン」とたたえられた佐村河内氏が、実は自分で作曲していなかったというものでした。この騒動はショスタコーヴィチとは逆に、曲に対するネガティブな評価も出てくるようになりました。世間では音楽そのものではなく、物語なども含めて評価される傾向にあるということがあぶりだされました(この寓話的事件、数多くの論点があると思いますが、これ以外の論点について述べると本題と外れ過ぎるのでまたいずれということで)。
 一連の騒動の中では専門家から一般人まで色んな意見が各所で出てましたが、以下の書き込みが印象的でした。
「受賞を捏造したり、美人だったり、貧乏だったり、障害抱えてたり。キャッチーなキーワードがなきゃ売れないクラシック界ってのはなんなんだよ」

 けだし、クラシック音楽というのは、畢竟「第二芸術」に過ぎないのか?クラシック音楽そのものにはなんの力もないのか?などと考えさせられました。

 しかし、一方で物語もまた大きな影響力を持つものであるというのも事実です。ショスタコーヴィチの11番、オフィシャルには1905年の「血の日曜日」事件を描いたとされていますが、一説によりますとこの交響曲完成の一年前の1956年に起きたソ連軍によるハンガリーの自由化運動の鎮圧事件(いわゆるハンガリー動乱)を描いているという説もあります。
 つまり、「ロマノフ王朝の残虐さを描きつつ、それを乗り越えて樹立された革命政府を翼賛している」、「表向きはロマノフ王朝の残虐さを描いてそれを乗り越えて樹立された革命政府を翼賛しているけど、本当は、ハンガリー自由化運動を弾圧したソ連を非難している曲である」と2種類の聴き方ができます。そのいずれの聴き方でも同じように聞こえるのでしょうか?
 ローレル・E・ファーイ著「ショスタコーヴィチ~ある生涯」には、「常に帝国主義、革命政府と形態が変わろうとも専制政治や迫害といった”悪”は、彼の貫くテーマになっており、それは時代を超えて普遍的であることを知るべきだ」との記載もあり、実はそのいずれの聴き方も成り立ち得るとするのが模範解答となるかも知れません。
 もっと古典的な作曲家でも、例えばベートーヴェンの「英雄」はナポレオンに捧げられたと捉えるか、ナポレオンに捧げられようとしていたが結局はやめたと捉えるかでも大きく印象が異なります。

 結論としてどの聴き方が正しいということが言いたいわけではなく、物語が聴き方に与える影響が大きいということが言いたいのです。そもそも今ここでしているように文章で曲の紹介をするのに物語というのは非常に便利でもあります。とはいえ、物語に偏重しすぎて、作品それ自体から受ける印象よりも物語を優先させてしまうのも本末転倒と言えましょう。物語というものは作品の良し悪しを判断するのに使うのではなく、知らない曲を聴くとっかかりとして使ったり、理解をより深めるのに使ったりするのが理想的な使い方かも知れないと思います。

 いろいろと書いてきましたが、少なくともショスタコーヴィチについては、周りの雑音に関係なく、それ自体で素晴らしい作品を数多く残した作曲家であると信じています。この曲をご存知でない皆様も是非演奏会にいらしてご自身の耳で判断していただきたいです。

 さて、中プロはプロコフィエフの「スキタイ組曲」です。
 スキタイというのは博多弁ではなく、古代のイラン系遊牧騎馬民族のことです。プロコフィエフ自身が演奏する彼のピアノ協奏曲第2番を聞いてプロコフィエフに興味をかき立てられたディアギレフは、プロコフィエフに古代世界を題材としたバレエ音楽の作曲を依頼しました。プロコフィエフはこのスキタイ人を題材にした「アラとロリー」というバレエ曲を作ってディアギレフに見せたのですが、却下されたそうです。一説によるとストラヴィンスキーの「春の祭典」の二番煎じだと言ったとされます。「春の祭典」とはストーリーも異なるのですが、派手オーケストレーションや荒々しい土俗性に共通するものがあるとみなされたのかも知れません。結局、プロコフィエフは演奏会用の管弦楽組曲「スキタイ組曲」としたのですが、バレエのタイトル「アラとロリー」が添えられることも多いです。
 古代の自然崇拝に基づく善と悪の世界を巨大なオーケストラをもって描く作品で以下の4つの曲からなります。
第1曲「ヴェレスとアラへの信仰」
 太陽神ヴェレスとその娘、森の神アラへの信仰を示します。。野蛮で色彩的な太陽神ヴェレスと優しく柔らかな森の神アラが描かれています。

第2曲「チュジボーグと悪鬼の踊り」
 スキタイ人がアラに生贄を捧げていると、邪教の神チュジボーグと悪の精たちが野蛮な踊りを繰り広げます。そして暴虐の限りを尽くして村を混乱に陥れます。

 余談ですが、この曲は80年代にテレビCMに使われていました。9分42秒くらいから始まります。

 邪悪なイメージがこの生き物にはまっていたからか、曲の勇壮な調子が漁師にふさわしかったからなのかわかりませんが(笑)

第3曲「夜」
 チュジボーグは夜に乗じて村に忍び込みアラを奪おうと襲いかかります。アラを守る月の女神たちが歌を歌って慰めます。

第4曲「ロリーの出発と太陽の行進」
 勇者ロリーがアラを救いに現れます。太陽神ヴェレスが勇者ロリーを助け、チュジボーグたちを打ち負かします。勇者と太陽神が勝った後、日の出とともに勇者は次なる地へと旅立つのでした。

 さて、いわゆる前プロとしてはチャイコフスキーのスラヴ行進曲を演奏します。
 1876年に勃発したトルコとセルビアの戦争は、セルビアを支援するロシアとトルコの戦争に発展していました。当時のモスクワ音楽院長でチャイコフスキキーの師でもあったニコライ・ルービンシュタインは、兵士を励ますための音楽会を開催することにし、そこで上演する曲をチャイコフスキーに依頼しました。それを受けて作曲されたのがこの曲です。

 冒頭4小節の序奏のあと、ファゴットとビオラにより奏される暗い旋律がセルビアの民謡であり、曲の中ほどでは、弦楽器とトロンボーン、テューバにより力強くロシア帝国国歌「神よツァーリを護り給え」も歌われます。そしてクライマックスに向けて高潮していき、勝利を告げるトランペットのファンファーレなどを経て熱狂的に締めくくられます。

 愛国心を喚起させる曲らしく、「行進曲の演奏のあと、場内に起こった人々の叫び声は、とても筆には書けない。全聴衆は立ち上がり、ブラボーの叫びの中にウラー(万歳)の叫びがいりまじった。行進曲は再演され、再び嵐が巻き起こった。これは1876年の最も感動的瞬間のひとつであった。場内では多くの人々が泣いた。」との記録が残されているそうです。

 余談ですが、ソ連時代にはロシア帝国国歌は具合悪いだろうということで、グリンカの「皇帝に捧げた命」の一部に差し替えられた版が作成され、ソ連のオーケストラによって演奏されていました。この下のものです。ちなみに、同じくロシア帝国国歌が使用されている1812年でも同様の措置がとられていますね。

正式版。

ソヴィエト版

 ソヴィエト版はやっつけ仕事過ぎで苦笑する他ないですな。チャイコフスキーの天才的バランスが犯されてグズグズになっています。好事家的変態的マニア心はくすぐるものですが(笑)

このように非常に魅力的な曲を演奏します。
是非いらして下さい。
また、一緒に演奏会を作り上げるヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスの仲間も大募集しています

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